「ここは何もしちゃいけないところなんだよ!」
ある市役所の市民課の課長が亡くなった。
葬儀の場で部下のひとりは言った。
市役所は何もしてはいけないところなんだと―。
少し前に映画「生きる」のDVDを見ました。
すばらしい映画でした。
昭和27年上映の映画ですが、
そのメッセージは今の時代に、
より強く響くように感じました。
名作であり、
ご存じの方も多いかと思いますが、
今回はこの映画をご紹介したいと思います。
映画について
「生きる」
脚本:黒澤明、橋本忍、小国英雄
監督:黒澤明
出演: 志村喬、小田切みき他
昭和27年の映画です。
大まかなあらすじ
とある市役所の市民課が舞台。
課長は「ミイラ」とあだ名され、
まさに生きる屍のよう。
ただ判子をつくだけが仕事のようなありさまです。
部下からは「いてもいなくても同じ」と揶揄されます。
あるとき、
課長は病により自分の命がいくばくもないことを悟ります。
そのことを知って課長はどのように変わったのか。
周囲の人間は何を考えたのか。
鋭い人間観察をもって映し出します。
脚本家橋本忍氏の言葉
「生きる」は黒澤明氏が監督した映画ですが、
脚本は黒澤監督と、橋本忍氏・小国英雄氏が共同執筆しています。
橋本氏は他にも何本かの黒澤映画の脚本制作に参加。
たとえば「羅生門」や「七人の侍」、「悪い奴ほどよく眠る」も、
橋本氏が共同執筆に参加した作品です。
橋本氏が脚本を書いた映画は他にも数多くありますが、
「私は貝になりたい」、「白い巨塔」などもその例です。
数々の大ヒット作を書いた橋本氏。
大変緻密にストーリーを組み立てる脚本家だったようです。
そんな橋本氏ですが、
第二次世界大戦では軍隊で肺結核になり、
先は長くないとの宣告を受けます。
兵役は免除になりました。
手元にあった「橋本忍 人とシナリオ」(シナリオ作家協会編、1994)の本に、
橋本氏の興味深い言葉がありました。
「…多くの仲間がこの世を去ったのに脱落者が生き残る。
蜂の巣のような穴ボコだらけの肺だがとにかく生きている。
過去のことはすべて忘れる私だが、この一事だけは常に念頭から離れたことがない。
脱落者のみが生き残れるわけがない…?
何時の日にか脱落者には――その脱落や欠落の部分の穴埋め、
埋め合わせしなければいけない時が来るのではなかろうか。」
(「橋本忍 人とシナリオ」シナリオ作家協会編、1994、83頁)
緻密なヒットメーカーの心中から離れなかったこの思い。
脚本制作にも何かの影響を与えていたのでしょうか。
今日本で生きる人たちに
大変古い映画ですが、
私にはとても新しく感じられました。
斬新な映画構成。
深く的確な人間の洞察。
俳優陣の見事な演技。
特に映画の後半、
主人公について周囲の人々が語るシーンは、
自分もその場で話を聞いているような感覚になりました。
何よりも、
「これは今の日本社会を描き出している」
「昭和27年に描き出された状況と、
70年近くたった今の日本の状況はまったく変わっていない」
そう感じました。
「ここは何もしちゃいけないところなんだ!」
主人公の部下が市役所を指して言った言葉ですが、
私の頭には漠然と日本の社会そのものが思い浮かびました。
このセリフを聞いて、
もしかしたら私以外にもそのように感じる方がいらっしゃるかもしれません。
一方で、
主人公の生き様に本当のいのちの使い方とは何かを、
深く考えさせられました。
いのち短し 恋せよ乙女ーー。
主人公が口ずさむ大正時代の流行歌(「ゴンドラの唄」)。
世の中は不条理であり、
いのちは短い。
でも、
本当にいのちの力を使った時、
何ができるのか。
この映画は見せてくれるような気がします。
今、多くの方に観てもらいたい作品です。
お読みくださりありがとうございました。