今まさにこの本が訴えることが真実味をもって迫ってくるように思えてならない。

家事のアウトソーシングへの流れがますます加速しているように思われる中、
本書の内容はむしろ逆行するともいえるが、
そのような状況だからこそ説得力が増しているようにも思える。

 

今回は、
「昭和の家事~母たちのくらし」小泉和子著、河出書房新社(2010)

をご紹介したい。

 

 

 

最初に、
著者の家事に対するスタンスについて触れておきたい。

戦後、家事からの解放が熱望され省力化が非常に進んだが、
これからの社会では家事のもつ力を見直し、
何らかの形で生活に取り入れていくことが必要であると
著者は考えている。

そして、その前提としていくつかの点を踏まえなければならないとする。

その中から2点を以下に挙げる。

 

①家事を家父長制からきりはなすこと

歴史的に家事は圧倒的に女性によって担われ、
そのため男尊女卑と固く結びついており、
不合理、不当なことも多い。
家事を新たに見直すにあたり、
家父長制を注意深く切り離さなければならないという。

 

②家事は人が生きていくために不可欠な物事であり、
女性だけがやるものではなく、
男でも子供でも誰もがかかわらなければならない事だということ

 

 

「昭和の家事」というタイトルから、
家事は女性がやるべきものという考えが想起されやすいと思われること。

また、依然としてそのような考えが日本社会に根強く残っていると思われることを踏まえ、
本書の内容に対する誤解を避けるために、
以上の点につき最初に触れた。

この点については、
私自身も非常に共感しており、
大変重要な点であると考えている。

 

 

この本には、
さまざまな家事の段取りが写真を交えて説明されている。

例えば、

・おこわをたく(かまどを使用)
・おはぎをつくる(小豆餡からつくる)
・着物の洗張りをする(着物を解く・洗う・張る)
・夏掛け布団をつくる
・掃除

などである。

 

昔は珍しいことなど何もなく普通に行われていたというが、
本書で取り上げられたすべての家事を通して、
その丁寧さ、丹念さに驚きを隠せなかった。
今の社会では各々が1つの職業として扱われても不思議ではないのではないか。

根気・集中力・我慢強さ・身体能力など、
家事から垣間見える昔の人たちの圧倒的な人間力。

何をどうすればこのような力がつくのか。

この本の中で家事の例を見せているのは明治生まれの著者の母である。
当時の女性として一般的な人生を送ったというから、
その力を養うのに家事も大きく貢献していたのではないか。

 

 

 

著者は、現代社会のさまざまな問題の要因の1つに、
身近な家庭の在り方や、
家庭での生き方があるのではないかと言う。

社会の問題は複数の要因が絡み合っており、
根本には政治・経済・社会全体の在り方が大きく影響しているため、
家事だけが原因だとは言えないがと前置きした上で、
著者は以下のように述べる。

 

かえりみますと戦後この方、
私たちがめざしてきたことは、一貫して、
嫌なこと、嫌いなこと、したくないことをしなくてすむ、
好きなことだけできる、人に煩わされずにすむ、
便利で、快適で、自分を大事にできるくらしだったのではないでしょうか。
それこそが生活の豊かさだと思ってきたと思います。
そしてそれは徐々にかなえられ満たされてきたわけです。
ところがそれと同時に家庭崩壊が起こり、
人のつながりがなくなり、
無縁社会になってきているということなのです。
ではその嫌なこと、
したくないこととは何だったかといえばその最大が家事だったのです。
ということは問題の多くがそこにひそんでいるということになるのではないでしょうか。」

 

 

そして家事のもつ教育力の例として、
曹洞宗永平寺の開山、道元が記した「典座教訓」に触れる。

道元は、
炊事や洗濯といった作業に人間を育てる深い意味があると考えて修行の基本におき、
「典座教訓」には禅堂における炊事係の心得を書いたという。

 

さらに、
家事のもつ教育力のもう一つの例として、
家事が多岐にわたることを挙げる。

家事は技術的な炊事・洗濯・掃除・裁縫などだけではなく、
育児、教育、看護、つきあい、買い物、家計管理、年中行事、宗教行事、冠婚葬祭と
幅広い。

いずれも人間的な面が多く、
人と人との間で生きていく上での能力・胆力を養い、
社会性を育てる上で非常に重要な役割をはたすという。

昭和30年代くらいまでは各家庭で行われており、
大変ではありながらも非常な鍛錬になったそうだ。

 

 

 

私自身、便利なものに頼ることも多く、
本書を読んで身につまされる思いもするのだが、
今の社会状況を考えると、
著者の主張と真剣に向き合う必要があると考えざるをえない。

 

 

人はさまざまなライフステージでどのような日常生活を送っているのか。

人が健康に生きるには何が必要なのか。

「健康」とはどのようなことか。
短期的なスパンでとらえるのか、長期的なスパンでとらえるのか。

人の健康は就労活動にどのように影響するのか。

人の働きがどのように連携すれば社会・経済活動が滞りなく回るのか。

 

こうしたことへの関心、気づき、認識がないために、
人が真に豊かに生活できる社会がつくれない。
人の生死にかかわる重要な問題を解決できない。

このことは戦後80年近く、
家事がどのように扱われてきたかとも無関係ではない。

本書を読み、
そのように感じられた。

 

 

便利になりすぎて、
この快適さはどうやって得られるのか、
もはや想像できなくなっている部分が多いのではないか。

著者が家事の分野として挙げる事柄の多くは、
今や物・サービスとして商品化され、
金銭で済ますことができるようになり、
本来は家事にふくまれると気づかないことも少なからずあるように思う。

だが、物・サービスの流れが滞ることが起こって、
実は多くの物事が、
自分以外の多くの人たちの働きで成り立っていたことに気づかされるようになってきている。

 

 

人は誰しも生まれてすぐに働き盛りになるわけではない。
幼い時代があり、病気にもなれば事故にあうこともあり、
障害とともに生きなければならないこともあり、
年もとっていく。

だれにでも、誰かの助けを借りなければならない時がある。

生きることが簡単になりすぎて気づきにくくなっていたことに、
ふたたび光を照らす時が来ているように思われる。

 

 

著者は言う。

「家事は健康管理と同じです。
健康を保つためには栄養バランスのよい食事をし、
運動をして身体を動かさなければなりません。
……これはいまや常識となっていますし、
身体の場合は結果として現れますので気を付けます。

ところが、家事の場合は、すぐ結果が現れるものでもなければ、
範囲が広すぎて因果関係がはっきりわからないので、
みな気づかないのです。……」

昔のように家事をするというのではなく、
生活状況などをふまえ家事の種類やできることを考えながら、
何等かの形で家事を日常に取り戻すことができたなら、
家庭と社会が今よりはるかに力強いものになるだろう、

とも。

 

 

家事には終わりがない。
わずらわしく、手間がかかり、億劫であることも間違いない。

昔のようにはとてもできず、する必要もないと私も感じるが、
一方で、丁寧に生きるには家事を抜きにすることはできないとも思う。

なぜなら、
家事は生きるために必要であり、
生きることそのものの一部だからだ。

 

 

 

あまりにも生活のスピードが速くなり、
家事などやっていたら仕事や勉学などができないという人もいるかもしれない。

かくいう自分も、
かつて都会で仕事をしていた時に、
「時間を金で買う感覚」が必要だと先輩に言われたことを思い出す。

 

 

ただ、

なぜそこまで生活のスピードが速くなってしまうのか。

自分が生きるために必要な物事に、
なぜ時間を割くことができないのか。

 

 

振り返る余裕を与えてくれない社会の中で考えることは容易ではないが、
今だからこそ、
真剣に考えることができるかもしれない。

 

今だからこそ、
個人の生き方や社会の仕組みそのものに目を向け、
新たな変化を生み出すきっかけをつかめるかもしれない。

 

 

決して珍しくはなかったかつての家事のありようを見せてくれるこの本は、
人の中に眠る本来の力を教えてくれる。

 

今、おすすめしたい1冊である。

 

 

お読みくださりありがとうございました。

 

◇本書の主役である著者の母・小泉スズ氏をはじめ著者一家が暮らした家は、
現在「昭和のくらし博物館」として保存されており(登録有形文化財)、
くらしの哲学をつくる舞台となっている。
昭和のくらし博物館ホームページ

 

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