「ゼバスチアンからの電話」(イリーナ・コルシュノフ著、石川素子・吉原高志 訳、白水社2014年)を読んで

無農薬・無肥料・草生栽培で家庭菜園の野菜づくり

久しぶりの投稿です。

今回は本をご紹介したいと思います。
以前読んだ「ゼバスチアンからの電話」という本です。
1981年にドイツの児童文学作家イリーナ・コルシュノフによって書かれた
ヤングアダルト小説です。

「ゼバスチアンからの電話」
イリーナ・コルシュノフ著、石川素子・吉原高志 訳
白水社2014年

あらすじ


主人公は17歳の高校生、ザビーネ。
ザビーネはボーイフレンドができたばかりです。

このザビーネ、
父親のいうことに決して「ノー」と言わない母親に反発を感じていましたが、
ボーイフレンドができて自分が母親に似てきたことに気づきます。

父親といえば、
家族の意見を聞かずに重要な物事を決めてしまいます。

弟と仲良しのザビーネ。
ある日弟がこう話すのを耳にします。

「お百姓さんになる」
「そうして、ぼくはトラクターに乗って、奥さんが、家畜小屋の掃除をするんだ」

それがどういう意味か言い聞かせようとするザビーネですが、
弟は意味が分からない様子です。




そんな家族4人でしたが、
母親のある決断をきっかけに、それぞれが変わりはじめます。



そして、
何でも自分の思い通りにしようとする父親にも、
悩みのあるそぶりも見せず、
家族のためにずっと黙って働いてきた父親にも、
深い悩みがあったことがわかります。



人とつながりながらも自分自身でいること。自由であること。
お互いを受け入れること。

家族4人それぞれが、
人間の尊厳を取り戻すことに向かい始める。





読み終えた後、さわやかな気分が残りました。

この本が扱うテーマは家族の関係にとどまらず、
より規模の大きい関係に広がっていくのではないかと思いました。



そしてこれは決して夢物語ではない。

私はそう思います。




この本を読んで


この作品は、ドイツの児童文学作家イリーナ・コルシュノフが1981年に書いた
ヤングアダルト小説です。1970年代の西ドイツでは、
当時の女性解放や女性の社会参加の運動を反映して、
このようなテーマを背景とした少女小説(思春期の少女を主人公とした小説)が
複数書かれていたそうです。

日本でも男女平等、女性の社会参加の声が高まっています。
1970年代に書かれた本書ですが、
今の日本ではまだまだ現在進行形のような、
色あせることのないタイムリーな内容に思えました。
女性差別という言葉でひとくくりにしてしまうには、
あまりにも多くの現実があり、心理的な障害もまた大きい。
私自身女性ではあるものの、何をどう語ってよいのかわからなくなります。
女性が生きやすい世の中になってほしい。心からそう思います。

そして、真に女性が生きやすい世の中になるならば、
男性の生きづらさも解消していくに違いないと私は思っています。



一方で私は、男女平等や女性の社会参加の声の高まりが、
かえって型にはまった生き方を女性に強いることのないようにと強く願っています。

女性と仕事を例にとれば、
仕事に人生の重心を置きたい人、
家庭やその他のことを中心に据えて生きていきたい人、
仕事を含め様々なことに自分なりのバランスで取り組んでいきたい人等。
一言で女性といっても、何をどう望むかは人によって様々です。

姿形も、性格も、価値観も、生活環境も、できること・できないことも、どう生きたいかも、
一人ひとり違います。

ジェンダーの問題は、突き詰めれば、
性を超えて、
あらゆる違いを超えて、
誰一人同じ人間はいないということを認め合えるか、
尊重し合えるかという問題ではないかと私は思っています。




私自身について話をすれば、
10年以上前、子供を預けながら働いていた時、
十分な仕事ができないと苛立ちや不満を感じたことがよくありました。

今振り返ってみて、当時の私は、
自分が本当に望んでいることは何かを知ろうともせず、自分にたずねようともせず、
自分以外の誰かが考えた理想に合わせて生きていたようにも思います。


今私が望むことは、
自分や家族を大切にしながらできる仕事をしたいということです。

自分の足元を大切にすること。

自分が心身ともにゆとりのある状態でいられること。

静かで、穏やかな環境で、
子供がのびのびと成長できるようにすること。
子供との時間を大切にすること。
親としてだけではなく、自分自身の喜びとしても望んでいます。
子供の成長に気づき、喜んであげられるだけのゆとりがある状態で
子供の傍にいたいと思います。

自分が今ここにあることを支えてくれる家族が
ともに喜んでくれる仕事を、働き方をすること。

生活することを大切にすること。



私は、こうしたことができないと
自分が感じる、自分がそのように判断する、
仕事や職務にはつきません。


足元がくずれれば、
土がくずれれば、
上には何も育ちません。






また私は、自分が意思を持つ一人の人間であることを
大切にしたいと思っています。

自分の思いや考えがある時もあればない時もありますが、
いつもただ頷くだけでなく、
ただYesかNoかを言うだけでなく、
自分の思いや考えがある時にはそれを伝え、
話し合えることを大切にしたい。

私が意思を持つ一人の人間であることを尊重してもらえる場所で
働きたい。

そのような場所で、
周囲の方々と助け合い、支え合いながら、
力を合わせて一緒に働くことが私の願いです。




そしてまた私は、
顔を合わせたり声を聴いたりして、
人の温かさが伝わってくるようなコミュニケーションをすることも
大切にしたいと思っています。

時代遅れなのかもしれませんが、
デジタル機器が発達する中で、
人がそこにいることを現実に感じられることが
安心感につながるように私は感じています。

スピードや効率が求められる場面では適切でないことも多いかもしれませんが、
互いに温かな気持ちで接することも大切にされる場所で働くことができたら
とてもありがたいことです。

安心できること。
私にとってはとても大切なことです。


わからないことを聞くことができない。
不安な気持ちを聴いてくれる人がいない。
相談できない。
話し合うことができない。
1人で考えなければならない。
決められたことには従わなければならない。
全部引き受けなければならない。
すごいことができなければならない。
1人で何とかしなければならない。
結果は出して当たり前でなければならない。
何でもできなければならない。
弱いところを見せてはいけない。
人に頼ってはいけない。
助けてと言ってはいけない。
人に甘えてはいけない。
人を信用してはいけない。
人より優れていなければならない。
いつもしっかりしていなければならない。
いつもちゃんとしていなければならない。
泣いてはいけない。
強くなければならない。
人に勝たなければならない。


孤独感でいっぱいの中で働かなければならないとしたら、
私はどんなに辛く、さびしくなることでしょう。

心に蓋をして、まるで機械のように働かなければならないとしたら、
私はどんなに苦しくなることでしょう。



私は自分の思いや考えも聞いてもらえる場所で、
相談したり話し合ったりして一緒に物事を考えることができる場所で、
人と人とが温かな気持ちで向き合える場所で働きたい。

そのような職場で、
自分にできることをしながら
職場ひいては世の中の役に立てたなら、
私はとても幸せです。






自分の足元を大切にすること。
自分にできることを地道にやっていくこと。
自分の歩幅で歩くこと。

私はこのようなことをこれまで歩いてきた中で学びました。





自分をおいやって
何かのために生きること
誰かのために生きること

それは自分を枯らすこと
心の中まで枯らすこと自分の気持ちに気づくこと
自分の気持ちを受け止めること

自分で自分を抱きしめて

勇気を出して
少しだけ自分を変えてみる

心の扉を開いて
自分の気持ちを伝えてみる

どんなに小さなことでもいい
これまでの自分を変えてみる

そうすればきっと気づくはず
これまでに見たことのない風景が
目の前に広がっていることに

そしてきっと気づくはず
もうその風景が目の前に見えることに
気づくはず






お読み下さりありがとうございました。